BLOG

ニシン漁のことを歌った北海道の渡島半島(おしまはんとう)地域の民謡とされ、全国的にも広く知られています。渡島半島は津軽海峡に面した半島で、その先端は松前半島と亀田半島に分かれていて室蘭市などがあります。

この歌の歌詞はいろいろあるようですが、次の歌詞は定着しているようです。

ヤーレン ソーランソーランソーランソーランソーラン ハイハイ

鰊(にしん)きたかと鴎(かもめ)に聞けば、わたしゃ立つ鳥 波に聞け チョイ

ヤサ エーエンヤー サーノ ドッコイショ 

ハァ ドッコイショ ドッコイショ

ヤーレン ソーランソーランソーランソーランソーラン ハイハイ

沖の鴎(かもめ)に潮時聞けば、わたしゃ立つ鳥 波に聞け チョイ

ヤサ エーエンヤー サーノ ドッコイショ 

ハァ ドッコイショ ドッコイショ

この民謡は、囃子言葉(はやしことば)が非常に多くて、それにより歌全体の調子を盛り上げている面があります。そうしますと、この囃子言葉に意味があるのかどうか、あるとすればどんな意味なのか誰でも知りたいところです。

一般的なことをいいますと、このような囃子言葉には、殆んどの場合ちゃんとした意味があるのです。これから、それぞれの言葉の意味を紹介します。

先ず、「ヤーレン」という言葉です。

「水面が広大に広がっている」ことを泱(ヤン)と言います。それが連綿と続いている状態が泱連(ヤンレン)、つまり、ヤーレンなのです。

次に、「ソーラン」という言葉です。

「色が青い」ことを蒼(ソン)といいます。波のことを浪(ラン)ともいいます、浪打つ水面が青々として広がっている状態を蒼浪(ソンラン)、つまり、ソーランというのです。この言葉が五回も繰り返されているということは、青い海が果てしなく広がっている情景をまざまざと連想させます。

以上のことから、「ヤーレン」と「ソーラン」の二語により、眼前に広がる青々とした壮大な海のことを歌っていることが分かります。

次に、「ハイハイ」という言葉です。ハイハイは、いろんな状況の下で、特には意味のない調子をつけるための感嘆詞として使われる言葉ですが、ここでの場合「海」を連想させるので、最も適切な感嘆詞として使用されています。それは、上海(シャンハイ)の読みからご存知のように「海」の字は「ハイ」と読むからです。したがって、「ハイハイ」から「海海」が連想されるのです。

次に、「チョイ」の意味は、その前に「聞け」という命令形の言葉があることから判断しなければなりません。承応(チョンイン)は「承諾する」という意味の熟語ですが、ここでは、命令形の言葉を受けることから「承諾したね」、つまり、「分かったね」という意味になるのです。

次に、「ヤサ」とは揚賛(ヤンサン)のことです。揚は称揚のことであり、賛は賞賛のことなので、揚賛とは「ほめたたえる」という意味になります。

次に、「エーエンヤー」とは、嫣艶雅(イエンイエンヤー)のことです。嫣は「きらびやかで美しい」、艶は「あでやかで美しい」、雅は「みやびやかで美しい」のことですから、最良の言葉が並べられているのであり、一口に言うと「とても美しい」とか「とても素晴らしい」という意味なのです。

「サーノ」は、賛能(サンノン)のことで、「賞賛することのできる」という意味です。賛は「賞賛」、能は「可能」のことです。

「ハァ」は、感嘆詞の哈(ハ)のことであり、「まあまあ、ほんとに」というような意味になります。

「ドッコイショ」は、都姿哿宜勝(ド・ツ・コ・イ・ション)のことで、都は「まったく」、姿は「美しい」、哿は「素晴らしい」、宜は「良好な」、勝は「景勝である」の意味ですから、直訳すると「まったく、美しい、素晴らしい、良好な、景勝である」の意味になります。一言でいうと「とてもすばらしい情景である」の意味になっています。つまり、「サーノドッコイショ」とは、直訳すると「賞賛することのできる、とても素晴らしい情景である」という意味になります。

 以上のことから、この歌の意味はおおよそ次のようになっています。

なんと青々とした洋々たる広大な海が広がっていることだろう。

そこで、鰊が押し寄せてきたかどうかを鴎に聞いたら、自分は飛んでいる鳥に過ぎないのだから、そんなことは浪に聞いてくれ、いいですねと鴎が答えた。

この情景は、美しいとほめたたえることのできる素晴らしいものであり、ほんとに、とても素晴らしい。

 漢字では、浦島太郎と書かれます。海辺の砂浜で子供たちに苛められていた亀を助けたら、そのお礼に竜宮城に案内され、乙姫様のたいへんなおもてなしを受けます。夫婦になって日々を楽しく過ごしますが、三年経った頃に故郷が恋しくなり、いとまを申し出て、開けないようにとの忠告を受けた玉手箱を貰って帰ります。三年と思ったのに地上では三〇〇年の年月が経過していて、土地の様相もすっかり変ってしまい、知った人は誰もおらず、途方にくれた浦島太郎は、忠告も忘れて玉手箱を開けてしまいます。そこから白い煙が立ち登り、一瞬のうちによぼよぼの老人に変わってしまったというお噺です。

 この話は、内容はお互いにやや異なりますが、古くは丹後国風土記(逸文)、万葉集第九巻の万葉歌(一七四〇・一七四一)、日本書紀の雄略天皇二十二年正月の条にでています。丹後国風土記では浦嶼子、万葉集では浦嶋児(子)、日本書紀では浦嶋子と書いてあります。その後の室町時代の御伽草子で名称等も現在の噺に近いものになっています。

 この、ウラシマという名前が意味も無く付けられたとは思えないので、その語源の詮索をしてみます。

一音節読みで、はウと読み動詞では「~しない」、はランと読み「見る」、はシと読み「昔」、はマンと読み「美しい」の意味があります。子や太郎は「男」の意味です。

つまり、ウラシマは無覧昔曼であり、後ろから直訳すると「美しい昔を見れない(男)」少し意訳すると「美しい昔の故郷を見られなかった(男)」の意味になり、これがこの男性の名称語源と思われます。


最後までお読みいただきありがとうございました。

 よさこい節の原歌は、土佐地方で古くから親しまれていた歌のようで、それを、土佐在住の作詞作曲家であった武政英策氏が「南国土佐を後にして」という曲名で再編作詞し、ベギー葉山という美人女性歌手の歌唱で大ヒットして、日本全国に広く知られるようになった歌です。

 その歌詞は、たくさんあり、歌集によって若干の違いがありますが、どの歌集にも共通する歌詞の一部を披露しますと、次のようなものがあります。


一、土佐の高知の 播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい

二、みま瀬 見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこい よさこい

三、言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる よさこい よさこい

四、土佐の名物 珊瑚に鯨 紙に生糸に かつお節 よさこい よさこい


 しかしながら、曲名とも囃子詞ともなっている「よさこい」とはどういう意味なのか現在でも分かっていないようなのです。有名な流行歌なので、当然に、作詞家にも質問がでたと思いますが、この歌は古歌を再編したもので、「よさこい」という囃子詞は、すでに古くからあったものであり、この作詞作曲家自身が作ったものではないので、何の意味だかはっきりとは分からなかったのかも知れません。したがって、いまなお、分からないままとされています。

 有力説とされるものの一つに大辞典に書いてあるものがあります。例えば、広辞苑には「夜さり来いの意」と書いてあります。古語に「夜さり」という言葉があり、「夜に、夜分に」という副詞として使われていた言葉です。この説は、古語である「夜さり」と現代語である「来い」を合わせた「夜さり来い」から「り」を省略した「夜さ来い」であり、「夜にいらっしゃい」という意味だとするものです。しかしながら、古語と現代語をくっ付けるのは可笑しい上に、「り」を省略するのもまた可笑しいのです。

 更に、古語には「夕さり来る」という表現はあっても「夜さり来る」という表現はありません。したがって、広辞苑に書いてあるような、「よさこい」が「夜さり来い」からきたものとは到底思われません。

 それよりも、人形浄瑠璃などの言葉に「夜さ来い」とあり、「夜さ」とは「夜に、夜分に」という意味で、「夜さ来い」とは「夜に来い」の意味とされているようで、もし仮に、「よさこい」が「夜にいらっしゃい」とする意味ならば、こちらの方が、はるかに無理のない適切な説明のできる言葉といえます。

 ところが、地元の土佐人の話では、土佐ではこのようないい方はしないというのです。地元では、夜のことは晩(ばん)といい、「夜にいらっしゃい」というのは、「晩に来や」というのだそうです。大体、四国、九州地区の日常語では夜という言葉自体がさほど使われていなかったのです。

 また、有力説の一つに、江戸時代の初期に山内一豊が高知城を築いたときの、「よいしょこい」や「よっしゃこい」という掛け声の訛ったものとする説があります。この説の最大の欠点は、あまり聞いたことのない掛け声であることに加えて、ほんとうに使われたという痕跡がどこにもないらしいということです。

 一般的なことをいいますと、囃子詞や掛け声にも意味はあるのです。したがって、「よさこい」の意味は、歌詞は何節何行もあるのですから、この歌の全節全行に通用するものでなければならないのであり、「夜にいらっしゃい」では、その役目を果たしていないのです。

 また、「夜にいらっしゃい」説で、納得のいかない最大の理由は、そのような意味では、いかにも矮小過ぎて、南国土佐らしい大らかさや雄大さに欠け、この歌全体に流れる雰囲気や各節の歌詞と殆んど調和しないことです。


 そこで、次のような、著者の新説であり、真説であると思われるものを、ここで、ご紹介します。

 一音節読みで、はヨウと読み、優秀の熟語で使われるように「優れている」という意味であり、その多少の訛り読みが「よさこい」の「よ」です。はツァンと読み、賞賛という熟語で使われているように「ほめたたえる」の意味ですが、その多少の訛り読みが「よさこい」の「さ」です。この二語を合わせた「優賛(ヨサ)」は、「人柄のよさ」、「家柄のよさ」、「彼女のよさ」などと使われています。

はコと読み「よい、素敵である」の意味、英語でいうところのgood、fine、splendidなどの意味です。はイと読み、「よい、宜い」という意味です。

 以上のことから、「よさこい」とは、優賛哿宜の多少の訛り読みであり、これらの字における同じような意味をまとめて簡潔にいうと「素晴しい、素敵である」の意味になり、これがこの言葉の語源です。

 現在では、この歌にはいろいろな歌詞が付け加えられていますが、土佐出身の兵隊さんたちに愛唱されていたといわれる元歌(もとうた)の根底に流れているのは、土佐人の郷土に対する愛情、誇り、自慢、懐かしさなどではないでしょうか。 

 したがって、「よさこい」の意味も、それらを表現しているものでなければならないのです。つまり、「よさこい、よさこい」とは、「素晴しいなあ、素敵だなあ」という意味の、自画自賛ともいえる囃子詞なのです。

 博多どんたくは、江戸時代の学者である貝原益軒著の筑前国続風土記によれば、平家の全盛時代であった1179年(治承3年)に挙行された松囃子(まつばやし)が、引き継がれて発展変化したものとされています。

 松囃子とは、正月に、芸人や村衆・町衆・侍衆などが集団で着飾って権門勢家に参上して、太鼓、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)、笛、鉦(かね)などの楽器に合わせて歌や踊りを披露した祝賀芸能で、鎌倉・室町時代頃から都を中心に各地で盛んに行われたようです。

 博多で行われる松囃子は、博多松囃子といいます。江戸時代にも行われたようですが、維新政府から任命された県令(現在でいう県知事)によって1872年(明治5年)に禁止されると、名称を変えて「これは、どんたくばい(『ばい』は『である』の九州方言)」といって1879年(明治12年)に再開し、このときから「どんたく」といい、博多を語頭に付けて「博多どんたく」と呼ぶようになったとされています。

太平洋戦争中に中断されましたが、終戦翌年の1946年(昭和21年)には早くも博多松囃子の行事が挙行されました。翌年に博多どんたくの名称が復活され、その後、港まつりと統合されて現在にいたっており、5月の3~5日の三日間挙行されます。

 以上のような事情から、現行の博多どんたくでは、博多松囃子が行列の先陣を務め、要所要所で、博多松囃子の太鼓、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)その他楽器の音色に合わせて伝統衣装で着飾った少女の踊り子たちが優雅に舞いを披露します。

 さて、大辞典によれば、「どんたく」の語源は、オランダ語のZondag(ゾンターク)であるとされています。しかしながら、この説には大いに疑問があります。

  第一に、オランダ語で、Zondag(ゾンターク)は日曜日のことですが、祝日はFeestdag(フェスターク)、休日はRustdag(ルスターク)といいます。祝日や休日は、日曜日に重なることはありますが、日曜日ではありません。上述のように、日曜日、祝日、休日の意味は、それぞれ違うのです。博多どんたくは、その起源からして歴史的にも日曜日に行われる行事ではないのに、その名称が、なぜ、ゾンターク(日曜日)になるのか、まったく理解できません。また、ゾンとドンでは、音が違い過ぎます。ゾンは「さ行」、ドンは「た行」ですから、訛ると言っても、ゾンがドンには訛りにくいのです。つまり、「ゾンターク」は「どんたく」になりにくいのです。

 第二に、「半ドン」という言葉があり、ドンはゾンターク(日曜日)のことで、半日が日曜日の意味で「半日休み」の意味だとされていますが、これも怪しいのです。仮に、ゾンの訛り読みがドンになるとしても、ゾンタークは日曜日のことであって休日のことではなく、日曜日は一日の24時間であって、その半分が日曜日などということはあり得ないのです。このようなことから「半ドン」というのは本来は、半日が日曜日の意味での「半日休み」ではないことは明確です。

 第三に、これが最も大きな理由ですが、日本古来の伝統行事の名称に、祭礼についての文化的なつながりも薄いヨーロッパ語の外来語を使うなどということが、果たしてあり得るのかどうか。そのような例は、他の日本の伝統的な祝賀行事の名称にはないのです。いくら舶来好みの時代背景があるとはいえ、賢い博多衆が、そんな思慮のないことはしないのではないかと思われます。 

 したがって、どの大辞典にも書かれている「どんたく」の「ゾンターク」説は、大辞典編集学者による、いんちき、ごまかし、でたらめ説である疑いが強いのです。


 さて、それでは、「どんたく」とは、いったいどういう意味なのでしょうか。

日本の童謡「村祭り」のなつかしい歌詞をご存知のことと思います。第一節だけここに書きますと、次のようになっています。

村の鎮守の神様の

今日はめでたいお祭り日

どんどんひゃらら どんひゃらら

どんどんひゃらら どんひゃらら

朝から聞こえる笛太鼓

ここで、「どんどん」や「どん」は太鼓の音であり、「ひゃらら」は笛の音を指しています。このことからお分かりのように、「どんたく」とは、「どんどんと太鼓をたたくこと」なのです。一音節読みで、鼕はドンと読み太鼓の音を表す擬音語です。打はタ、鼓はクと読むので、打鼓はタクと読み、太鼓をたたくこと、つまり、太鼓を打ち鳴らすことをいいます。

したがって、「どんたく」を漢字だけで書くと「鼕打鼓」であり、直訳すると「どんどんと太鼓をたたく」の意味になり、これがこの言葉の語源です。このことは、博多松囃子の主楽器が「鼓(つづみ)」であることからも充分に察することができます。

県令による禁止令のもとで、博多衆が「これはどんたくばい」と称して復活したときに、松囃子という行事ではなく「どんどんと太鼓をたたく」に過ぎない行事であるという理屈で、禁止の網をのがれての復活を図ったのです。

 ところで、上述した半ドンの意味について説明すると、半ドンにおけるドンはゾンターク(日曜日)のことでなく、一音節読みでドンと読む「働」のことです。つまり、半ドンとは、「半働」の多少の訛り読みのことであり「半日働く」という意味なのです。

 日本では、最近では、土曜日は休日ですが、長い間、半ドンとされてきた経緯があります。この頃でも、半ドンは日曜日ではなく土曜日だったのです。繰返していいますと、ドンはゾンターク(日曜日)のことではなく働のことであり、半ドンとは「半日休み」のことではなく「半日労働」のことです。しかしながら、半日しか働かないのですから、結果的には「半日休み」と同じことになるので、誤った説明がまかり通ることになるのです。

 青森ねぶたは、勇壮で美しい巨大な人形灯篭を中心に踊り手たちが一塊(ひとかたまり)となった数十組の集団が街中を練り歩く、全国的に有名な夏の行事で、八月の上旬に行われます。このような有名な行事ですから、まずは、「ねぶた」とはどういう意味なのかという質問が当然にでてきます。

一音節読みで、念はニィエンと読み、その多少の訛り読みが、ねぶたの「ね」です。とは「声を出していう」ことで、例えば、声を出して経を読むことを念仏といい、声をだして本を読むことを念書といいます。この行事に参加した踊り手を「はねと」といいますが、はねと達が、舞い踊りながらラッセラー、ラッセラーと威勢のよい掛け声を唱えながら「囃(はや)す」ことが、とりもなおさず「念」なのです。はウと読み、その日本語読みの「ブ」がねぶたの「ぶ」であり「舞い踊る」の意味です。この行事では、華やかな衣装や花笠で着飾った、たくさんのはねと達が「舞い踊る」ことによって、雰囲気を一段と盛り上げるのです。

はタンと読み、その多少の訛り読みが、ねぶたの「た」であり、「担(かつ)ぐ」の意味です。この行事に登場する勇壮で美しい灯篭人形をみんなで「担ぐ」ことなのです。現在では、これらの灯篭人形が大形化していることもあって、台車に載せて引かれるのが普通ですが、記録によれば、昔はみんなで担いでおり、小さな路地にも入り込んで練り歩くことができたとされています。

 つまり、「ねぶた」とは、この夏の行事の基本的な三つの要素である「念、舞、担」をつなぎ合わせたものの読みからできた言葉になっています。直訳すると「囃し、踊り、担ぐ(祭)」という意味で、これがこの言葉の語源です。

 以上から、分かるように「ねぶた」とは灯篭人形そのもののことではありません。したがって、ねぶた祭の出し物である灯篭人形は、むしろ「ねぶた灯篭」または「ねぶた人形」といった方がよいと思われます。そして、これらの「ねぶた灯篭」または「ねぶた人形」を舞い踊りながら練り歩くことが「ねぶた流し」なのであり、最後にはこの灯篭や人形を川や海に流すのは「ねぶた灯篭流し」または「ねぶた人形流し」なのです。

 さて、ラッセラーとは一体なんのことでしょうか。この意味を知っている人はいないようですが、殆んどの人形が勇壮な武将の戦闘絵になっていることから判断できます。一音節読みで、はランと読み、指示または命令の意味を表わします。はツと読み「刺す、刺殺す」の意味、はセと読み「射る、射殺す」の意味、了はラと読む語尾に付く語気助詞になります。つまり、ラッセラーは、「譲刺射了」の多少の訛り読みであり、直訳すると「刺殺せ射殺せ」という物騒な指示命令の意味になっており、これがこの囃子言葉の語源です。簡単にいうと「やっつけろ」という意味になります。このことは、そもそもの漢字では、「ねぶた」は「侫武多」と書かれてきたようであり、「武」の字が使われていることからも推測されます。 

 この祭りは、弘前でも行われますが、こちらでは、「ねぶた」ではなくて「ねぷた」といい、弘前を付けて「弘前ねぷた」といいます。「青森ねぶた」との顕著な違いは、「弘前ねぷた」では灯篭人形が扇形になっていること、掛け声が違うこと、踊りは付かなくて灯篭人形をにぎやかに引廻して歩くことにあります。

 「ねぶた」と「ねぷた」で、「ぶ」と「ぷ」の違いは、行動の顕著な違いの一つである「舞」と「歩」との発音の違いです。つまり、「舞(おど)り」がつかず、「歩いて」引廻すだけの場合は「ねぷた」なのです。歩は、一音節読みでは、「ぶ」とも「ぷ」とも読めるのですが、正しい音読は清音読みの「ぷ」です。したがって、ねぷたとは、念歩担であり、直訳すると「囃し、歩き、担ぐ(祭)」の意味であり、これが「ねぷた」の語源です。

 以上から、その言葉の意味を漢字で表すとすれば、青森は「念舞担(ねぶた)」、弘前は「念歩担(ねぷた)」になります。

そもそも、「ねぶた流し」や「ねぷた流し」における「流し」のほんとうの意味は、街中を「練り歩く」ことではないかと思われるのです。現在では「タクシーを流す」のように使います。人形灯篭は、最終的には川や海に流すので、事実問題として、当然に、その「流す」の意味もあることは考えられます。つまり、「流し」とは、「練り歩く」ことが本来の意味であり、「川や海に流す」ことは付加された意味であって、強いていえば掛詞になっていると思われます。

 現在、通説とされている「ねぶた」や「ねぷた」の語源説があり、テレビ(television)のクイズ(quiz)などにも出題されて宣伝されています。しかしながら、「眠た」であるというような語源説を、いつ誰がいいだしたのか分かりませんが、はっきりいってこの通説はどうかと思われます。福岡博多のドンタク祭りの「ドンタク」や高知のヨサコイ節の「ヨサコイ」の語源説なども、その部類に入ります。